出立の日は、再来週に近づいていた。 アレクシアより先に周りが慌ただしく動き始め、 嫌でもそのことを思い知らされる。 外務省からは支度金とともに仕立屋と宝石屋が遣わされ、 有無を言わさず夜会用の衣装を仕立てられる。 実際、あちらに着いてからでは晩餐会に間に合わない。 少しばかり古めかしいデザインのドレスは 一体誰の好みであるのか謎だった。 そして――アナトリアでの滞在先は やはりディートリヒの屋敷となるらしい。 あらかじめ荷物を送っておきたい、と尋ねると、 すぐにコンスタンティニエの彼の住所が返ってきた。 【アレクシア】 「…………」 クリストフの言う親帝国政策がまったくの方便でないことは パトリツィアの話からも理解した。 正直に言うと、自分は周りが思うほど悲観していない。 務めとして受け入れる覚悟もできた。 それでも、どうしても引っかかるのは―― 彼の名を出されているせいだ。 【アレクシア】 「……ディートリヒ・シュトルツベルク・ロスラ」 実際に顔を合わせていたのは、やはりベルリンにいた頃だ。 ここ数年はクリスマスカードが届くくらいで、 付き合いというほどのものもない。 【アレクシア】 (確か、エリとは九つ離れていて……今年で二十七か八……?) 両親の離婚後、貴族の名を失ったあとは 父親と共にアナトリアで商会を営んでいるという。 それが、二年ほど前からたびたびドイツ本国に召還され、 昨年からはコンスタンティニエの大使館に 公使代理という肩書きで招かれているらしい。 【アレクシア】 (やっぱり……そうなのかしら) クリストフも、あのスィナンという人も はっきりとは口にしなかった。 だが、アナトリアでの新たな役目が 結婚を前提としたものであることは十分に考えられる。 【アレクシア】 (……恐らく、時期が早いか遅いかというだけだわ) けれども、それが思いの外に身近な―― 自分以上にエリやクリストフの知人であることを思うと、 どうしても色々なことが気にかかる。 【アレクシア】 (……ディートリヒ様は承諾したの? 他に何か条件があった?) 【アレクシア】 (もしこれが本当だとしたら……エリはどう思う?) 幼い頃のことは曖昧だが、 彼はよくエリの面倒を見ていたように思う。 クリストフの友人であったことが何よりの理由だろうが、 エリもまたディートリヒに懐いていた。 社交場では年齢を問わず女性たちの視線を集め、 そのせいで男性からも恨みがましく見られるような人だった。 無論、当時のエリに彼女らのような下心があったとは思えないが。 【侍女】 「失礼いたします」 扉を叩く音がし、侍女のテルマが顔を出した。 その顔が心なしか微笑んで見える。 【アレクシア】 「どうかしたの」 【侍女】 「お客様がお見えです。エルフリーデ様が」 【アレクシア】 「!」 一瞬心が浮き立ち、 だがすぐに別れた時のことを思い出す。 ……あの時。いま思えば、 必要以上にエリの心を惑わせてしまった。 手紙の書き方も悪かった。 もっと彼女の気持ちをきちんと聞いておくべきだった。 そんなことを何度も考え、 それでもどうすることもできず、 考えるのを放棄するように旅支度をしていたのに。 【侍女】 「今、お通ししますね。 こちらのお部屋でよろしいですか」 【アレクシア】 「お願いします」 固い声に、緊張しているのを自覚する。 どのように迎えていいかわからず、 意味もなく応接椅子の辺りをうろうろする。 【アレクシア】 (ディートリヒ様のことは……今のうちに話しておかないと) そう思ったが、自分とて確かなことはわからない。 いっそのこと手紙を出して彼の意図を尋ねておくべきか。 【アレクシア】 (……なんて書けばいいの。 あなたは私と結婚するおつもりですか、って?) さすがに先走り過ぎている。 思い違いなら相当恥ずかしい思いをすることになるだろう。 【アレクシア】 (……そうだ。エリには、まず謝らないと) だが、それすらもなんと言えばいいかわからない。 下された命には背けない。 でも、できることならわかってほしい。エリだけは。 あれこれ考えるうち、再びノックの音がした。 テルマが扉を開け、エリが現れる。 【アレクシア】 「…………」 俯いたまま、エリはちらりと視線を寄こし、 目が合うとぱっとそらしてしまう。 ……まだ怒っているのだろうか。 そう思うと、余計に何を言うべきかわからなくなる。 【アレクシア】 「いらっしゃい、エリ。いいお天気ね」 【エリ】 「……雨、降ってるけど」 【アレクシア】 「あ……ああ、そう。 そうね、気づかなかった。ずっと手元ばかり見ていたから」 【エリ】 「…………」 【アレクシア】 「……………………」 テルマが出て行き、足音が遠ざかると 部屋はしん、と静まり返る。 【アレクシア】 (訪ねてきた、ということは――) 何かしら主張や要求があるのだろう。 けれども、エリが何を言い出すのかわからない。 予想できても、そのどれもが信じられない。 鼓動が早まり、緊張に手のひらが汗を帯びる。 【エリ】 「……あの、さ」 【エリ】 「ごめんね、急に。話したいことがあって」 声は随分遠くから聞こえ、 自分たちがまだほとんど歩み寄っていないのに気づく。 エリも察したのか、 ためらいがちに応接の方へと近づいてきた。 【エリ】 「この前は、ごめん。……ごめんなさい」 【アレクシア】 「エリ……」 【エリ】 「あんなこと……言われたって、困るよね。 アレクシアは断れないんだし」 【エリ】 「……ううん、そうじゃないか。 アレクシアが決めたんだ、自分で。アナトリアへ行くって」 【エリ】 「だったら……がんばって、って言わなきゃいけないのに。 ごめん。ひどいこと言って」 【アレクシア】 「……いいの。心配してくれたのね。エリは」 【エリ】 「許してくれる?」 【アレクシア】 「許すも許さないも……私こそごめんなさい。 もっときちんと話すべきだった」 詫びてほしいなんて思わなかった。 顔を見せに来てくれただけで嬉しかった。 それだけじゃない、ずっと考えていてくれたのだ。 アレクシアの気持ちを。葛藤を。選んだものを。 【アレクシア】 (エリ……) そう思うと、胸の奥が熱くなる。 大切な、誰よりも大事に思ってきた少女が 愛おしくてたまらなくなる。 【エリ】 「えっと……ね、 それでちょっと……考えたんだけど」 【アレクシア】 「なに?」 【エリ】 「出発って……いつだっけ。来月?」 【アレクシア】 「……再来週の月曜なの。 どうしてこんなに急なのかしらね」 【エリ】 「そっか……」 エリは少し思案するように首を傾げ、目を落とす。 だが、すぐに顔を上げ、 こちらへと大きく一歩近づいた。 【エリ】 「あのね、アレクシア。 私もアナトリアへ行こうと思う」 【アレクシア】 「え……?」 【アレクシア】 「……え、待って。どうして……」 【エリ】 「行ったら帰ってこれないわけじゃないんだし。 付き添いだって必要だよね」 【エリ】 「だから、私も行く」 【アレクシア】 「……でも、エリ。学校はどうするの。 もう少しで卒業なのに」 【エリ】 「大丈夫! フリッツ先生もいいって言ってくれたの。 得るべきものを得てきなさいって」 アレクシアのことは話してないよ、と付け加え、 エリは胸の前で組んでいたアレクシアの手を取り上げる。 【エリ】 「一緒に行こう、アレクシア。 二人ならきっと旅も楽しいよ」 【エリ】 「……知らない土地へ行くのは、不安だよね。 ディートリヒだって、いつも側にいるかはわからないし」 【エリ】 「だから、私がいてあげる。一緒にいさせて」 【アレクシア】 「エリ……」
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一緒に来てほしい
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エリを巻き込んでいいのか
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――エリが共に来てくれる。 そんなことが叶うなら、どれほどいいか。 言うまでもなく、エリにはエリのすべきことがある。 いつまでも引き留めるわけにはいかないけれど。 【アレクシア】 (エリが来てくれる……本当に?) そう思うだけで、 薄曇りだった心が晴れていくようだった。 【エリ】 「だめって言っても無駄だよ、もう決めたんだ」 【アレクシア】 「そんな……クリストフ様は、なんて」 【エリ】 「兄様には、まだ言ってない。 でも、ちゃんと話してわかってもらう」 アレクシアの手を両手で握り直し、 エリは正面から瞳を覗いてくる。 【エリ】 「私を連れていって。アレクシア」 【エリ】 「アレクシアが無事に着いて、 ディートリヒにアレクシアをよろしくねって言って……」 【エリ】 「アレクシアが、ちゃんと向こうで 幸せになれるってわかったら、帰るから」 【エリ】 「……だから、お願い」 【アレクシア】 「エリ……」 腕を伸ばし、エリの小さな体を抱きしめた。 エリも子供のような仕草で抱きついてくる。 【アレクシア】 「……いいの? 本当に?」 【エリ】 「……うん」 その体を、もう一度抱き返す。 誰よりも大切な親友が同じように返してくれる。 ――遠い、言葉すら通じない東洋の国。 この先、自分の身がどうなるか。 考えるたびに不安だった。表に出すことができないだけで。 【アレクシア】 (……いいわ。あなたがいるなら、それでいい) いつまでも一緒にはいられない。 いつか必ず別れの時は来る。 ……それでも、運命を変える一歩を踏み出す今、 その存在が側にあることに心から感謝したかった。 ────この続きはゲーム本編でお楽しみください────