ゲーム序盤から一部抜粋した、シナリオ試し読みページです。 グラフィック、ボイス、音楽は、ゲーム本編にてお楽しみください。
**************************************************** 【クリストフ】 「――ご心配には及びません。殿下」 目の前にいる外務省から遣わされた紳士、 クリストフがおもむろに口を開く。 【クリストフ】 「女性の存在は、外交において重要な役割を果たすものです。 もちろん相応の人物であればこそ、ですが」 【クリストフ】 「かつてアナトリア皇帝は、フランス王妃の訪れによって 有史以来初めて女性に腰を折りました。 彼女のために宮殿を建て、西洋文化に親しまれた」 【クリストフ】 「今も同じです。フランス大使の御令姪レディ・ジスレーヌ。 カトリック教徒保護の立役者、外交団主席のスペイン大使夫人。 彼女たちのアナトリアでの発言力は相当なものと聞く」 【クリストフ】 「殿下はドイツ婦人として誇るべき知性の持ち主。 そして、恐れながら並ぶ者のない麗人です。 我が国の象徴としてこれほど相応しい方がいるでしょうか」 【アレクシア】 「……私のような者に、もったいないお言葉です」 その言葉で、ようやく合点がいった。 胸の内にわだかまっていたものが少しばかり溶けていく。 レディ・ジズレーヌの名は聞いたことがある。 数年前、アナトリアの首都コンスタンティニエの大学に 講師として招かれたという方だ。 スペイン大使夫人については名前を思い出せないが、 欧州でもカトリックの教えの色濃い国だ。 信徒の保護は使命であるとの思いは強いのだろう。 つまり、求められているのは ドイツにおける彼女らのような存在だ。 社交界という、外交のもう一つの舞台。 そこで有益な駒になるという。 【アレクシア】 (……そうね。いいわ) 思っていた以上に明快な答えが聞けた。 そう思うと、前向きな諦めが体を満たす。 この身である理由があればいい。それならば抗う必要もない。 【アレクシア】 「お話、承りましょう」 【アレクシア】 「まずは父に報告させてください。 正式にお請けできるのはそのあとです」 【スィナン】 「お許しをいただく、ではなく?」 【アレクシア】 「皇帝陛下の臣民がご意志に背くことがありましょうか。 文書の件はすでに伝えています」 【スィナン】 「そうでしたか。 あなたのように美しい姫を持ち、それを手放さねばならないとは どれほどお辛いことでしょうな」 【クリストフ】 「案ずることはありません。 この国はあなたを失うのではない。 アナトリアでより多くの者があなたの崇拝者となるだけです」 【クリストフ】 「ヴュルテンベルク王には改めてご説明に参ります。 どうかご自愛を、とお伝えください」 【アレクシア】 「申し訳ありません。今は体調が優れず」 【クリストフ】 「それと……現地でのことですが。 あちらではディートリヒ・シュトルツが 殿下のお世話を務めさせていただきます」 【アレクシア】 「え……?」 【クリストフ】 「昨年、彼は公使代理に任命されたのです。 元から通訳などで頼ることは多かったようですが、 彼ほどアナトリアの事情に通じた者はおりません」 【クリストフ】 「それに、我々より余程高貴な女性の扱いにも慣れているかと」 【スィナン】 「シュトルツ卿の邸宅はそれは見事なものだそうですよ。姫。 立地もよく、調度も素晴らしいと聞く」 【アレクシア】 「それは……」 ――その時、思考の隙間に入り込むものがあった。 束の間の沈黙の中、場にいるすべての者が耳にする。 静かな宮殿には似つかわしくない、乱れた靴音。 侍女にしては焦り過ぎている。 一瞬父の容体を疑ったが、ここへ来る前に見舞ったばかりだ。 【クリストフ】 「……では、お暇させていただきましょう。 王の元へは近いうちに参ります」 使者の一人が立ち上がる。 彼もまた気づいたのか、 音が近づくにつれ、その思いも確信に近づく。 ――足音。 忙しなく、まるで小さな幸せを運んでくるような。 【エリ】 「アレクシア、いる?」 申し訳程度のノック、そしてすぐに扉は開かれた。 現れた少女が部屋を見渡す。 【エリ】 「あ……」 視線がスィナンの方を向いて止まり、 輝くような生気にあふれた顔が強張った。 溜め息をつくクリストフを見て一層焦った顔になり、 次いで助けを求めるようにアレクシアを見る。 【エリ】 「……すみません、ご来客……でしたか」 【クリストフ】 「久しぶりだね、エリ」 【エリ】 「兄様……」 【クリストフ】 「今日は休みではないだろう。学校はどうしたんだ」 【エリ】 「私は、アレクシアから手紙をもらって」 【クリストフ】 「それは答えにはならないね。 卒業が間近とはいえ授業をおろそかにするのは感心しないな」 【エリ】 「……はい」 【スィナン】 「そちらは?」 【クリストフ】 「不躾な所をお見せしました。スィナン殿。 私の実妹でエルフリーデと申します」 【クリストフ】 「このようななりではありますが、妹です。 殿下とは古くから懇意にさせていただいており」 【エリ】 「はじめまして。 ……お話の所を、申し訳ありません」 【スィナン】 「構いませんよ。愛らしい妹君だ」 【クリストフ】 「では殿下、また後日……」 【エリ】 「待って。待ってください」 客人を促し歩き出しかけた兄をエリが引き留めた。 袖を掴まれ、クリストフが困り顔で振り向く。 【エリ】 「お話を聞かせてください。私にも」 【クリストフ】 「エリ」 【エリ】 「アレクシアが……アナトリアへ行くとは、どういうことですか。 どうして、なんのために」 逼迫した声、核心に迫る言葉は、 社交辞令に満ちていた部屋に波紋を投げかける。 けれども、本当ならそうあるべきなのだろう。 彼女の声音や面持ちはごく健全なもののように見えた。 【エリ】 「……今朝、アレクシアからの手紙が届いたのです」 【エリ】 「出立は来月って……。 それに、いつ戻るもかわからないなんて」 【クリストフ】 「殿下とお呼びしなさい、エリ。 この件はすでにご了承いただいている」 【エリ】 「!」 【クリストフ】 「お前が身を案じられる気持ちはわかる。 だが、我々が殿下に不都合のあることを勧めるはずがないだろう」 【クリストフ】 「あちらでは大使館の者、 あとはディートリヒが補佐をさせていただくことになっている。 お前が心配することは一つもないよ」 【エリ】 「ディートリヒ……?」 【クリストフ】 「殿下。大変恐れながら、 少しばかり愚妹にお話を賜りたく」 【クリストフ】 「我々はこれにて失礼させていただきます。 スィナン殿は戻りの汽車が決まっておりまして」 【アレクシア】 「あなたはいつまでこちらに?」 【クリストフ】 「三日ほど滞在いたします。 王にもそのようにお伝えいただければと」 【アレクシア】 「わかりました。 お忙しい中出向いていただき恐縮です」 【クリストフ】 「王の一日も早いご快癒をお祈りします。では」 クリストフは深く腰を折り、客と共に退出する。 出ていく彼らを、 エリは今度こそ見送ることしかできなかった。 【エリ】 「…………」 繋ぎ留められ、そこから動くことができないように 閉じられた扉をただ見つめる。 しばらくして、その顔がこちらを向いた。 言葉が見つからないのか、大きな目だけが強く訴える。 エリ、という可愛らしい呼び名の少女は、 見慣れない厳しい面持ちでこちらを見ていた。 深い青、矢車菊の色の瞳は、 焦りと動揺に瞬きを繰り返している。 短く切られた黒い髪。 飾りのない士官予備学校の制服。 見方によっては、一瞬性別の判断を迷わせる。 細く華奢な肩や腰回り。 それは少女というより妖精じみていて、 初めて見る者はどうしても不躾に見てしまうのだ。 【エリ】 「……本当なの、アレクシア」 【エリ】 「あんな遠い……アナトリアへ行くなんて、本気で言ってるの」 食い入るように見つめる目。 幼い頃から共に過ごした誰よりも大切な友人の、 見たこともない表情に胸が痛む。 【アレクシア】 「ええ」 【エリ】 「どうして、アレクシアが……」 【エリ】 「兄様は……兄様たちは、 アレクシアになにをさせようとしているの」 【アレクシア】 「外交の一助となれば、ということらしいわ。 今回は女であることも重要なのだとか」 【エリ】 「大使館にも人はいるじゃない。女の人だって……」 【アレクシア】 「エリ。このことは外務卿の下された命なのよ」 【アレクシア】 「ヴュルテンベルクは今はドイツの一構成国でしかない。 盟主国には逆らえないの」 広大な土地を有し、権勢をふるった頃もあった。 だが、それも祖父や祖母の時代の話だ。 ドイツ皇帝――プロイセン国王の下命を退けるなどできなかった。 【アレクシア】 「先程のスィナン殿は、アナトリアの外務省の方。 恐らく決定事項として進んでいるのでしょう」 【アレクシア】 「こちらが覆すようなことがあれば…… クリストフ様にもご迷惑がかかるかもしれない」 【エリ】 「だからって、アレクシアはそれでいいの」 【エリ】 「いつ戻るかも……戻れるかもわからないのに、 命令だからって従うの」 【アレクシア】 「…………」 この子を前にしてなんと答えるべきか。 先程とは異なり、適した言葉が見つからない。 できることなら、エリには本当の気持ちを伝えたい。 受け入れてもらえるかは別にしても。
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「断れることではない」
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「行かなければわからない」
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