【アレクシア】 「……お断りできることではないの。エリ」 言い繕っても仕方がない。 実情を理解してもらうより他にないだろう。 【アレクシア】 「わかるでしょう。これは私一人の問題じゃない。 私に選ぶことはできないの」 【エリ】 「でも、アレクシアはこの国の王女でしょう」 【エリ】 「おかしいよ、こんなこと。 いきなり東洋の国に行けって……断ることもできないなんて」 【アレクシア】 「ベルリンの方にしてみれば領主の娘のようなものよ。 お声がけいただいたことは……光栄に思わないと」 【エリ】 「……そんな風に諦めちゃうんだ。アレクシアは」 【エリ】 「人に言われるまま……自分のことを決めてしまうんだ」 【アレクシア】 「エリ……」 【エリ】 「……いいよ、もう。わかったから」 【エリ】 「アレクシアなんて……どこにでも行けばいい!」 【アレクシア】 「待って、エリ!」 ――飛び出していった足音が、小さくなる。 追いかけようとした体は、動くことはなかった。 ……引き留める方法がわからなかった。 【アレクシア】 「エリ……」 率直な疑問や、不満。純粋な怒り。 客人たちは彼女を子供のようにあしらったが、 本当は嬉しかった。 誰よりも、アレクシア自身の気持ちを考えてくれるのが。 自分では口にすることの叶わない声を上げてくれるのが。 【アレクシア】 「……テルマ。そちらにいる?」 【侍女】 「はい」 隣室に声をかけると、すぐに侍女の応えが返ってきた。 今のやりとりを聞いていたのだろう。心配げな面持ちが現れる。 【アレクシア】 「いまエリが帰っていったの。 追いつくようなら馬車を出してあげて」 【アレクシア】 「明日の外出はまたにします。急ぎではないので。 ロルフには今晩はあちらで休んで明朝戻るよう言ってください」 【侍女】 「わかりました」 【アレクシア】 「お願いします」 侍女が足早に去ると、再び溜め息がもれる。 ……エリの通う士官予備学校は、 この宮殿から馬車で半日ほどかかる。 手紙を出したのは外務省から書状が届いたその翌日、一昨日だ。 きっと受け取ってすぐに飛び出てきたのだろう。 【アレクシア】 (……なのに、怒らせてしまった) 伝えたいことを、伝えきれなかった。 まだ自分の感情すら不明瞭で、 どこまで言葉にしていいかわからなかった。 【アレクシア】 「……こんなことばかりね。私」 思えば、自分は昔から彼女を振り回してきた。 ここ、ドイツ南部に位置するヴュルテンベルクは 首都ベルリンから遠く、フランス領に最も近い。 大都市で生まれ、早くに両親を失いながらも 心ある人たちに恵まれ不自由なく暮らしていたはずのエリ。 そんな彼女がこのような土地まで来てくれたのも、 元はといえば自分のためだった。 ままならない自分のために、動いてくれる。 怒り、悲しみ、思いを口にしてくれる。 そんな存在に、 これまでどれだけ救われてきたか知れないのに。 【アレクシア】 「ごめんなさい。エリ……」

――――13年前―――― 【エリ】 「…………」 【エリ】 「……兄さま、おそいな……」 【エリ】 「おとなの人ばっかり。つまんない……」 【アレクシア】 「……あら?」 【アレクシア】 「あなた……どこの子? 侍女はいないの」 【エリ】 「…………」 【アレクシア】 「ここ、いいわよね。私もお気に入りなの」 【アレクシア】 「しずかだし、木の陰がきもちよくて。 ごあいさつばっかりでうんざりしたら、ここへ来るの」 【アレクシア】 「……ねえ。きいてる?」 【エリ】 「あ、う、うん!」 【アレクシア】 「なんだ。しゃべれるじゃない」 【エリ】 「ここ……あなたのなんだね。ごめん」 【アレクシア】 「どかなくていいわ。 いっしょにすわりましょう、あなた小さいし、平気よ」 【アレクシア】 「はい。隣、どうぞ」 【エリ】 「…………」 【アレクシア】 「あなた、まいごじゃないわよね?」 【エリ】 「……うん」 【アレクシア】 「そう、だったらいいのだけど。 自分の名前、いえる?」 【エリ】 「エリ」 【アレクシア】 「エリ……? それほんとの名前?」 【エリ】 「あっ、ちがう。エルフリーデ」 【アレクシア】 「なんだ、りっぱな名前があるんじゃない」 【エリ】 「え、エリでいいよ」 【アレクシア】 「そうね、その方がにあってる」 【アレクシア】 「わたしはアレクシア。 あなた、わたしのこと知らないのね。 さっきびっくりしてたけど」 【エリ】 「あ、それは……」 【エリ】 「……すごく、きれいだから。びっくりして……。 お姫さまがきたのかもって」 【アレクシア】 「あら。そう?」 【エリ】 「うん。はじめて見た、アレクシアみたいな子……」 【エリ】 「あっ、アレクシアってよんでいい?」 【アレクシア】 「いいわよ、エリ。 そうだ。これ、もってきたの」 【エリ】 「あ……お菓子。パイ?」 【アレクシア】 「ヘーゼルナッツが入ってるのよ。すき?」 【エリ】 「うん!」 【アレクシア】 「なに? 恥ずかしいわ、食べるとこ見られるの」 【エリ】 「だ、だって」 【エリ】 「なんか……見ちゃうの。きらきらしてるから」 【アレクシア】 「ふふっ。女の子にそんなふうにいわれるの、初めてかも」 【エリ】 「え、どうして? アレクシア……きれいだよね?」 【アレクシア】 「ほかにもきれいな子はたくさんいるわ。 ここは皇女さまもおられるし」 【エリ】 「でも、アレクシアが一番だよ、ぜったい!」 【アレクシア】 「ありがとう。そうだといいのだけど」 【アレクシア】 「エリ。またここにくる?」 【エリ】 「わかんない。兄さまがつれてきてくれたの」 【アレクシア】 「お兄さまがいるのね。いいわね、うらやましい」 【エリ】 「アレクシア、兄さまほしかった?」 【アレクシア】 「ううん、そうじゃなくて」 【アレクシア】 「ねえ、エリ。 こんどわたしの家に遊びにこない?」 【エリ】 「え、いいの」 【アレクシア】 「ええ」 【アレクシア】 「もっとお話ししたいの。 お友だちになりたいわ、あなたと」 【エリ】 「……おともだち?」

【アレクシア】 「…………」 ――去り際のエリの姿をいつまでも惜しんでいると、 自然とかつての自分たちを思い出していた。 我が儘で、驕気を隠すことすら知らなかった幼い自分。 そんな自分が、初めて自ら望んだ友人がエリだった。 純粋な好意で、なんの損得もなく寄り添ってくれるエリ。 今もあの頃と何も変わらない。 【アレクシア】 (でも、私は……) 自分だけは、あの頃とは違う。 今の自分は――自分自身がどこにあるかすらわからない。